ふるさと探訪 【其の三十三】

      信夫山散歩(二)



 福島の狐の話といえば、鎌田の加茂左衛門(かもざえもん)、一盃森の長次郎とともに〈御山のごんぼう〉は、信夫の三ぎつねといわれ、人々の間で親しみをこめて語り伝えられています。
 まずは、御山(おやま)のごんぼう狐のお話を一つ。
 
(中略)加茂左衛門は、毎日のように魚とりにでかけました。頭がいいせいか、魚とりはうまいのです。山生まれのごんぼうは、悲しいかな、大すきな魚をとる方法を知らないのです。だから、ときどき福島の町へいって、木の葉で魚を買って来ては、化けの皮をはがされたりして失敗していました。ごんぼうは大へん気がいいので、魚とりのことを加茂左衛門にききました。すると、「それはな、寒い寒い冬の夜に、信夫山の麓にある黒沼にいって、尻尾を入れておくのだよ、そうしてしばらくまっていれば、二百匹ぐらい取れるにちがいない。」
 さっそくごんぼうぎつねは、黒沼にいって氷がガラスのようにはりつめたところで、コツコツと小さい穴を掘りました。そして、しっぽをいれました。夜がふけて寒くなりますと、だんだん穴の水が氷って尻尾が重くなってきました。うまいぐあいに魚がたんとかかったと思って
  千もついたか こんこんこん 
  万もついたか こんこんこん
きつねは、そういって喜んでいました。そのうちに東の空が明るくなってきました。もうこれ位ならよかろうと思って尻尾をひっぱりました。ところが、何としても氷りついた尻尾はぬけるはずがありません。ごんぼうぎつねは俄に顔色を変えて、
  「加茂左衛門にばかされた。」
近くの人たちはこれをみつけて大喜びです。生け捕ろうとしてやってきました。驚いたごんぼうは最後の力をふりしぼって、 
  ぬけば ぬける 
  お山の ごんぼ
なんとかわいそうに、お山のごんぼうは、魔法の尻尾をなくしてしまいました。この時からごんぼうぎつねはゴンボぎつね*1になったのです。
《片平幸三編『福島の民話』しのぶぎつねより》
  
 なぜ、信夫山のこの狐を〈ごんぼう狐〉と呼ぶのか不思議に思われることでしょう。それはこの信夫山が、古代より信仰の山と仰がれ、神聖な「御山」とされてきたことに由来するようです。出羽の羽黒神社とのゆかりを伝える中峰の羽黒神社は、古くは羽黒大権現*2(はぐろだいごんげん)といわれ、信達地方一帯の総鎮守として信仰をあつめてきた神社です。出土品から、その信仰は平安時代までさかのぼり、別当*3(べっとう)真言宗寂光寺の勢力は、遠く会津地方にも及んだ記録があります。*4その中に、「信夫羽黒山別当治部卿僧都御房」と明記してあり、御房は御坊の意であるから「御坊狐(ごぼうきつね)」となったのであろうと説いています。(『覆刻版信夫山』梅宮茂著)また、柳田国男は『爐辺(ろへん)叢書』に「行者の別称たる御坊の訛音かも知れぬ」と指摘しています。
 しっぽをなくした御坊狐は、神通力を失ってしまい、羽黒山寂光寺御坊に教えられ、人をばかさなくなりました。当時、蚕を食いあらすねずみをとる猫は、養蚕の神として信仰されました。御坊狐はその猫のように、農民に益する神の使いとなり、「ねこ稲荷」に祀られたといいます。これが「西坂稲荷祠」で、『信達一統志』杉妻(すぎのめ)荘の中にも見えます。

参考文献
・『覆刻版信夫山』 梅宮茂著 蒼樹出版 ・『福島の民話』 片平幸三著 未来社 
・『福島市史』別巻4 福島の民俗2
・『信達一統志』福島市史資料叢書第三十輯
・『信夫山めぐり』 梅宮茂著 信楽社
・『會津塔寺八幡宮長帳』是澤恭三編
・『信夫山散策MAP』史跡探訪編 魅力ある福島をめざす会編・発行 
・『信夫山日曜散歩』入道正著 ナカガワ発行
 
*1 ゴンボとは、このあたりの方言で尻尾の短いこと。
*2 権現とは、仏が神となってかりにあらわれたもの。本地垂迹説による。
*3 別当寺とは、神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺の一。 
*4 重要文化財『會津塔寺八幡宮長帳』
 
[地域資料チーム 菅野由美]